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俺ちゃんの中の人

Author:俺ちゃんの中の人
2015年9月に会社を辞めて3か月間世界一周旅行に行っていました。これからのことは模索中。

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将来有望な現役高校生に何をアドバイスする?
自分は人事の仕事を長くやってきて、直近では社員教育に携わっていたこともあり、「人を育てる」ことには今でも大変興味を持っています。
今日はそんな「人を育てる」ことにまつわる話をします。

人が育つには、大きく2つの要因が影響すると考えています。

1つは内発的動機と言われるもので、要は「自分はこうなりたい」「このようなスキルを身につけたい」という自らの意志がコアとなります。
この意志が強ければ強いほど挫折せずにゴールに向かって進む確率は高まります。
(意志がどんなに強くてもゴールに到達できるとは限りません)。

もう1つは、外発的動機と言われるもので、その人が置かれた環境が主要因となります。
「テストで一定の点数を取らなければ留年」、「このスキルを身につけないと給料が上がらない」、「上司に怒られるのが嫌だからモノを売ってくる」、などです。
その環境でなければ生まれてこない動機です。
「やらされ感」を感じるのは、この外発的動機で動かざるを得ないからです。
内発的動機では、「やらされ感」は決して生まれません。

※なお、今回の記事は動機にフォーカスしたいため、以後「能力」に関しては一切触れません。

一般的に「教育」というのは、一定のスキルを身につけてもらうために行われます。
新入社員教育であれば、社会常識・会社ルール・社会人基礎スキルの取得です。
学校の授業であれば、その科目の知識や思考力の取得です。
しかし、それ以前に上記2つの動機、内発的動機と外発的動機を考えることは、全くといいほどありません(少なくても自分はそうでした)。
学生のうちは別にそんなことを考える必要はありませんでした。
勉強することが義務であり常識だったからです。
そして、その気持ちを維持できたから大きな問題もなく大学まで卒業できました。

一方で、社会に出て初めて本格的に遭遇する「仕事」というものに対しては、内発的動機と外発的動機が混在してきました。
■内発的動機
・自分が選んだ会社に入ったからには頑張ろう。
・新しい知識を得ることは楽しい。
・会社には色々な人がいるなあ。話していると勉強になる。
・社内にはカワイイ人もいるなあ。仕事が出来るようになって軽く尊敬されたい。

■外発的動機
・仕事が出来るようになると給料が上がる。
・役職が付けば偉く見られるようになる。
・遊んだり楽しいことをするにはお金を稼がなくてはならない。

他にもあったかもしれませんが忘れました。
調子の良いときは、必ずと言っていいほど 内発的動機>外発的動機 となっていました。
一方、調子の悪いときは、内発的動機<外発的動機 です。
なので、いつの頃からか、調子の悪いときは自身の内発的動機を高めることを意識して思考したり行動するようにしていました。
外発的動機を引き起こす外部環境は、なかなか自分では変えられないですが、内発的動機は自分自身で解決可能だからです。
※外部環境を自らで変える大きな方法は転職や引っ越しがあります。

そうは言っても、内発的動機を高めていくのはなかなか難しいです。
時間もかかることが往々にしてありました。
また、ラッキーにも外部環境が変わってくれることもあります。
上司の交代や自身の異動などです。

話が飛びそうになりましたが、要は私が言いたいのは、「人は内発的動機を高めることが苦手」なのではないか、ということです。
私の仮説だと思ってください。
しかし、「人の内発的動機を高める」手助けが出来たらすごく楽しそうではないですか。
内発的動機を高めるのはあくまで本人ですので、自分はあくまでそのきっかけを与えること、その興味を健全に伸ばしていくサポートをすることしか出来ません。

実は友人知人の何人かには、意図的に内発的動機を高めてあげる方向で長期間話をしています。
先週飲んだ友人からは、「あの時(5年前)にもらった刺激がきっかけになって今の役職・仕事にたどり着けたよ。本当に感謝している。」
と言われて大いに照れ臭かったものの、たいへん嬉しかったです。
その時、「人の成長のタネを植えて育てていく仕事がしてみたいな」と思ったのです。

さて、長い長い前段が終わりました。
話は変わります。

昨日行きつけの美容院で、店長(同じ中学出身の2コ上、元不良)といつもどおり楽しくおしゃべりをしていました。
SIMフリースマフォのメリット・デメリット、コスト意識について、大学院の話、語学留学の話など。
そして、これまで何回か話を伺っている息子さん(高1)の話になり、文系・理系の選択の考え方、理系についての持論、学生時代にやってほしい留学のこと、これからの世の中における英語の重要性などについて語りました。
その息子さんは私立のなかなかの進学校(東大京大には毎年20名程度合格)に通っており、当然大学進学も頑張るつもりのようです。
店長としては色々とアドバイスもしてあげたいのだけど、自分は高卒で美容師業界のことしか分からないのでどうにも話のしようもないようです。
そこで店長さんが私に、「一度息子と話をしてくれないか?」と持ち掛けてきたのです。

どこまで本気かわからないですが、是非やってみたいと思いました。
現役高校生と真面目な話をする機会なんてめったにない機会ですから。
しかし、何を話をするかでハタと思考がストップしてしまいました。
将来有望な高校生に対して、何をアドバイスしてあげるか?何を考えてもらうか?
お金、将来設計、家族のこと、やりたいこと、自分の特長などありますが、どのようなストーリーやエピソードを話せば、信頼関係のない人でもある程度聞いてもらえるのか?

私の妄想タイムの始まりです。

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社会のこと | 09:50:27 | コメント(4)
今年の就活生は大変だ
今日は予防接種のため、都内を電車で駆け回っていました。
なんせ連日の猛暑日のため、私もポロシャツに短パンというくだけた格好だったのですが、電車内で目立っていたのがきちんとした身なりの就活生たち。
さすがに上着は脱いでいる人が多かったですが、中には上着着用の男女も見かけました。

今年(来年入社)は経団連の就職協定のおかげで、就職活動解禁日が8月1日と大幅にずれ込んだのが原因です。
「学生が学業に専念できるよう」にそのようにした訳ですが、完全に裏目に出ていると思います。
学生も企業もどのように動いてよいかわからず、冬にはインターンシップで学生の個人情報を獲得し、今年の3月からはなし崩し的に説明会を開催する企業も現れ、しかし経団連に加盟している大手企業はそのような動きは出来ずに8月1日から一斉に説明会を開始し、このまま内々定出しまで一気に進んでいくと思われます。

このような新卒採用市場は日本独特と言われています。
ちょっと穿った見方をすれば、専門知識もあまり持っていない新卒を採用し、企業文化に染め上げ、終身雇用を餌に若年層を会社に縛り付けるわけです。
でも最近は、終身雇用を途中で放棄し、整理解雇や早期退職を募集したりする会社も出てきています。

欧米では、一部のトップスクールを除き、新卒で企業に就職するのはものすごく大変です。
まずはインターンシップでどこかの企業に何とか潜り込み、アピールして正社員に登用されることを狙っていきます。
その後は業務成果をアピールして、他企業を渡り歩いていくのが一般的なキャリア形成となります。

日本の就労事情は、先に述べた解雇や早期退職募集、あるいは非正規雇用者の増加など、一昔前とはだいぶ様変わりしましたが、新卒で採用し育てていくスタイルはまだ当面は続くでしょう。
だからこそ、最初の企業選びは結構大切です。
教育にかける費用は会社によって全く異なりますので。

こんな私のブログを就活生が読んでいるとは思いませんが、1つアドバイスするとすれば「有報はちゃんと目を通しておけ!」です。
私は理系の会社に所属していましたが、有報を読んで面接に臨む学生の何と少ないことか。
これにはホントにビックリしますよ。
まあ、自分も全く目を通していなかったので偉そうには言えませんが。

来年度以降は、この就職活動というお祭りが少しでも良い方向へ是正されることを望みます。

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社会のこと | 21:18:15 | コメント(4)
日本人が夢を諦める平均年齢
日本人が夢を諦める平均年齢っていくつくらいだと思いますか?
30歳?40歳?もっと若い?

会社で夢に関して話す機会があり、ネタを探すためにWebリサーチしていた時、日本人が夢を諦める平均年齢という話題を発見し、色々と考えさせられました。
しかし、どうも統計学的に検証もされていないようなので出所は控えます。
従い、信ぴょう性はかなり怪しいのですが、そこでは24歳という年齢が紹介されており、妙に納得してしまいました。

24歳がどういう年齢かというと、大学卒で22歳、人によるのでしょうが、リア充系は卒業時には根拠のない自信と壮大な夢を掲げて実社会に出て、現実の自分の実力のなさを嫌というほど思い知らされ、意識高いことを吹聴するだけではまるで通用しないことを実感し、地に足を着けて目の前のことをこなすことに正面から向き合う歳、と予測しました。

職務柄、就職を希望する学生と接触する機会が多いのですが、時々本当に「意識が高い」系学生に出会います。
彼らは「日本を変える」「社会経験を積んで起業する」「世界に名を轟かせる」などの青臭いことを真顔で言い放ちます。飲み屋で出会ったらメチャイジリたいですが、仕事なので我慢して真顔で聞いています。

社会人になると、先に述べたように抱いていた高い志という旗は現実に揉まれて降ろさざるを得なくなり、地を這うように仕事をしているうちに旗を立てることはおろか、どこに旗をしまったのかも忘れて、そのうちに結婚、出世、家の購入、子育て、等のライフイベントの中で、子供の成長を願う平凡な目標に変わっていきます。
でも、その夢の方が、意識高い系が吹いている夢よりもよっぽど幸福感溢れるものだと思います。

そして、もう一つ思うのは、意識高い系は殆どがその夢を実現することないですが、ほんの一握りの人は、他人からバカにされようとその夢に向かって邁進し、夢を実現したり世の中を変えていく人がいるという事実です。
それをバカにしたくなるのは、そのような人に無意識に嫉妬しているのかもしれません。

自分は、元々たいそうな夢もなく、嫁もなく子もないので、自分の中や身の回りのことに生きがいや幸せを見出すしかないのですがね。

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社会のこと | 06:43:10 | コメント(8)
国家という暴力装置が我々に与える影響
昨日のエントリー 【読書録】アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか で感じたことを今日は記したいと思います。

敵を封じ込め、自分たちの利益を保護するためには、独裁者を後押しし、麻薬王と手を組み、過激派を育てることも厭わない。表向きは「自由」や「民主主義」といった大義を掲げるが、アメリカはその裏で徹底して国益を追求する。この原則のもとでアメリカは、自国の利益のためにヒトラーを必要とし、ナチス・ドイツと緊密な関係を築いていたのだった。
この徹底した国益追求は、戦後アメリカを世界一の超大国へ押しあげ、同時にソ連という巨大な敵をも作り出した。
(あとがきより一部抜粋)


そのような国家の論理のもとで犠牲になるのは常に国民です。
真珠湾攻撃で犠牲になった方しかり、自国の利益を確保するためにベトナムにまで派兵されてベトナムのジャングルで殺された方しかり。

そして、この国益追求の姿勢はアメリカほどシビアではないにしても、日本をはじめどこの国でも持っているものだと思います。
日本はこれまでアメリカのプロパガンダと高度成長・バブル景気という世界にも類をみないほどの経済発展によって、国民は日本政府(自民党)のことをかなり信頼してきました。
しかしその魔法もとっくに解けてしまい、問題が山積みで明るい先行きがなかなか見通せない国になってしまいました。
そのような時代だからこそ、日本の国益追求の姿勢が目立ってきているのではないでしょうか。
日本の国益追求による施策は、既に我々ビジネスパーソンやアーリーリタイアした方の生活を脅かしたり、今後脅かすことが予測されますが、ざっと以下のことを思いつきました。

◇徴兵制
自衛隊による集団的自衛権の行使が徴兵制につながるという議論があります。
また、昨今の周辺国からの領土問題からの影響も気になります。
国民はほぼ100%戦争になど行きたくないと思っていますが、国家という暴力装置が発動したらもう止まりません。

◇TPPによる様々な影響
これもアメリカが自国に対して有利になるので進めているのでしょう。
「そんなことない」という方は、「アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか」を読んでみてください。
他国の利益なんかでは死んでも動きませんよ、アメリカという国は。

◇労働強化と報酬抑制
国家と産業界は密接に結びついています。
そして産業界にとっては、労働力は安価かつ長時間確保できれば有利です。
なので自分は、労働強化と報酬抑制の方向に進む方が自然な流れだと思っています。
職務・職責の概念が極めて弱く、「みんなで頑張れ」みたいな働き方をしている国でホワイトカラーエグゼンプションなんて入れたら労働強化そのものでしょう。

◇定年と年金支給年齢の引き上げ&支給額の引き下げ
私が年金を貰うのは、きっと70歳、へたすればそれ以上上に引き上げられているかもしれません。
そしてセットで支給額の引き下げですね。
日本は財政状況が極めて悪化しており、どこかで搾り取れるところがないかを虎視眈々と狙っていますが、年金は狙いやすいのではないでしょうか。

上記で挙げたことは、私も実現しないことを願っています。
しかし、常に最悪のことを考えていた方が良いことは言うまでもないでしょう。

一筋の光明は、実は先日世界を騒がせたスコットランドの独立問題かもしれません。
あちこちで独立問題が噴出し、実際に国家から独立していくと既存国家の力は弱まり、もしかしたら国という仕組み自体が大きく変貌を遂げる可能性もあります。
これは、橘玲氏が好きなリバタリアンが描く人類の理想「国家の存在しない世界」から着想を得ました。

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社会のこと | 06:00:00 | コメント(0)
経験価値の時代の歩き方
18世紀半ばから19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入による産業革命を契機として、物質が大量かつ安価に作られるようになりました。
第二次世界大戦後は、「緑の革命(Green Revolution)」と呼ばれる、1940年代から1960年代にかけての高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が大きく向上した出来事があり、穀物の大量増産を達成して人類が歴史上常に頭を悩ましていた食料事情が飛躍的に改善されました。

現代に生きる我々はその恩恵を存分に受けていると言えるでしょう。
日本でアーリーリタイアを実践する・目指すというライフスタイルも、高度成長期・バブル期・バブル崩壊期の失われた10年でもさほど聞かなかったですから(※高度成長期は推測です)、豊かな時代がもたらしたものと考えても良いと思います。

そのような時代の変化とともに、人々が何に価値を置くかということも変化しています。
もともと人類の歴史は、物質や貨幣に価値を持つ時代の歴史でしたが、最近では経験価値の時代だと言われています。
経験価値とは、対象となる物質やサービスの利用経験を通じて得られる効果や感動、満足感といった心理的・感覚的な価値のことを言い、この概念の提唱者であるバーンド・H.シュミットによると、経験価値には以下の5つの側面があるとしています。

•SENSE(感覚的経験価値) 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を通じた経験
•FEEL(情緒的経験価値) 顧客の感情に訴えかける経験
•THINK(創造的・認知的経験価値) 顧客の知性や好奇心に訴えかける経験
•ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般) 新たなライフスタイルなどの発見
•RELATE(準拠集団や文化との関連づけ) 特定の文化やグループの一員であるという感覚


このような時代の移り変わりの中で、注目されているものが「口コミ」です。物質的な価値は、店頭に行ってその商品を手に取り、店員と話せばある程度推測することが可能ですが、経験価値の多くは無形のものなので手に取ることができません。
では、どうやってその良さを知るのかというと、多くの人がその経験を語っている「口コミ」です。
なお、「口コミ」は、経験価値に限定されるものではなく、物質的価値に関しても有効です。
経験価値とは、モノを手に入れてそれを使用することで得られることも往々にしてあるからです。
例えば、スマフォやタブレットもモノそのものにも価値を見出すことができますが、むしろそれを使用しての便利さ・楽しさなどに価値を見出す人の方が多数でしょう。

自分自身、モノを買ったり何かを経験する時に「口コミ」は必須と言えます。
本を買うときはAmazonのレビュー、大型消費財を買うときは価格comの口コミ、食事に行くときは食べログの点数、旅行で宿泊先を選ぶ際はトリップアドバイザーやAgodaのレビュー、そのほかにも映画、洋服、医薬品、お土産、ありとあらゆることに対して検索をかけ、他人の評判を知ろうとします。
そして、真偽のほどが分からない玉石混合な不特定多数の人の情報も、ずっとそれを見続けて経験していくことで「口コミを見る眼」が養われてきます。すなわち、あまり外すことがなくなります。

同じ金をかけるのであれば、外すことなく満足を得たいというのが人情ですが、「口コミ」に依存しすぎる自分は、少し困った弊害が出ています。

・経験する前からある程度予測がついてしまい、未知に出会った喜びや感動が減る。旅行の場合だと、自由旅行にも関わらずタスクをこなしているようになる。
・本当の自分がやりたいことの評価を気にしてしまうあまり、経験機会を失ってしまう。

経験の価値とは、本来的には私たち個人個人が意味づけするものであり、社会や相手に迷惑をかけない限り他人にどうこう言われることでは全くないはずです。
特に「自分のやりたいこと」の機会を失ってしまうことは最悪のことで、それは極論すれば「自分の人生ではなく他人の人生の一部をつぎはぎして生きている」、とも言えます。

今回、何でこんなことを考えたかというと、結石のために自宅で静養していた時、スマホ版「ドラクエVIII」が1000円オフの1800円で販売して(※セールは9月24日まで)、ヒマなあまり衝動的にポチってしまったことがきっかけでした。ファミコン版のドラクエⅠから現役で楽しんだ世代であり、ドラクエファンだった自分ですが、大人になっていつしかゲームをやらなくなりました。
でも、「やっぱりやりたいなあ」という気持ちは持ち続けており、ドラクエがスマホ版にどんどん移植されているのも知っていたのですが、その口コミを見ると楽しむのは微妙な感じも受け、ずっと購入を見送っていました。
そして、今回の衝動的購入に至るわけですが、遊んでみたらやっぱり楽しいんですわ。
自分が好きなことはいくつになっても好きなんだなあ、と思うと同時に口コミに自分の行動を左右されていたことを反省した次第でした。

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社会のこと | 07:09:09 | コメント(0)
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